ぼくは「コツ」とか「レベレッジ」という言葉はあまり好きではない。マニュアルという言葉も同様にあまり好きではない。確かにコツは重要である。最小限の力で最大限の力を出すことは重要だが、それは所詮限界がある。例えば、運動神経のよさは生まれつきかなり決まっているが、異常なまでの訓練をしないと、オリンピックレベルに達することはできない。最小限の努力で世界トップレベルに相当するほど、最高の結果を出すことはできない。北京オリンピックで8冠の金メダルに輝いたマイケル・フェルプスは、最小限の努力で8冠をものにしたのではない。楽をして8冠という成果を出したのではない。ある程度まではコツで「ごまかせる」が、それ以上は血眼の努力が必要だ。
頭のよさも85%は遺伝で決まると言われているが、ある程度生まれつき頭がよくないと「コツ」を覚えることさえできない。人が書いた「コツ」の本を読んでも、コツがつかめないだろう。
コツの通用しない世界
物事に上達したいと思ったとき、確かに「コツ」は重要である。一人で頑張っているよりは、ベテランコーチについてやった方が、早く上達するのも確かだろう。しかし、ぼくの考えでは「コツ」は一見“無駄”な努力を経験して身につけるものであり、「コツの本」を読んで身につけるものではないと思う。あくまでも試行錯誤して身につけるものだと思う。人によって、生まれつきもっているものが違う以上、分野によってコツを覚える速度も違う。詩人のアーサー・ビナード氏のように、生来言語に秀でている人は、人が苦労するところで苦労しない。出発点が違う。だから、語学のコツを覚える時間があれば、一見遠回りに聞こえるが、たくさん本を読んだ方がずっと効率がいいのである。本もコツでさらっと一読して理解できることも重要だが、じっくり味わいながら読んだ方がいい本、特に文学はコツで読むわけにはいかない。著者の取材までに一晩しかない場合、その晩に読むしかないが、こういうときのためにコツで読める能力は必要である。しかし、深く読むには、作家がどうしてここでこの言葉を選んだのか、という細部に至るまで考えながら読むことの方がもっと重要ではないだろうか。
日本の学校英文法はコツで覚えられる。だから文法問題はコツで解けるが、普通の速度で英語の本が読めないのは明らかにおかしい。英文法のコツを覚えること自体はあまりにも簡単だが、英語という言語を身につけているかどうか判断するのに、英文法の試験で評価するのはおかしい。そんな試験をするくらいなら、完結した短編小説を1時間で読ませて、次の1時間でそれについて英語で書かせた方が、真の英語の力がわかる。恐らく「コツ」で英語を勉強してきた人はここで力のなさがばれることになる。たくさん英米文学をじっくり読んできた人は、結構立派な味のある英語が書けるものだ。英語は書かせるとすぐにその人の教養レベルがわかる。複雑な文章表現ができるかどうか、使う語彙レベルを見ると一目瞭然だ。文法のテストをすることなく、真の英語力がわかるだろう。一見流暢に英語を話す人でも書かせると稚拙な英語しか書けない人がいるが、それでは通用しない。アメリカ社会では社会的地位と文章の表現力が比例する。
日本の教育は今でも思考させないで、「受験のコツ」の身につけ方を教えることに余念がない。「受験のコツ」はゼロから考えることを教えない。無から考える能力を育てる教育は日本にはない。ぼくがアメリカで受けた教育はゼロから考えることを教えられた。試験のときは計算機を使ってもいいし、公式を見てもいい。それでもゼロから考えることができない人は点数にならない。当時家庭教師で数学を教えていた日本人の中学生や高校生は、アメリカの現地校に通っていたが、学校での数学の教え方を聞いて、何回も感心したものである。公式を教えないで、やはり原理から問題を解く力がつくように教えるのだ。
人生はコツでは成り立たない
ぼくは最近村上春樹の作品を日本語で読んだあと、英訳でも読むようにしているが、もし「コツ」だけで語学をやっている、あるいは人に勧めている人には無駄かもしれない。しかし、英語の深さを知るには時間がかかってもこれほど勉強になる方法はないと思っている。学生の頃は、川端文学、夏目文学を日本語と英訳で読んだが、日本文学の英訳は、英米文学の和訳を読むよりもはるかに英語の勉強になる。基本的にぼくは原文が英語である場合は日本語の翻訳を読まないが、その逆はかなり英語の勉強になる。英語学習も「コツ」で勉強することを勧める人はたくさんいるが、所詮あっと言う間に限界が来るだろう。ネイティブにできるだけ近い感覚で味わうには「コツ」勉強では通用しない。
取材も同じである。コツだけで取材ができることはあるが、それでは相手とその後つながらない。ぼくの場合取材が終わり、記事が出たり、TVで放送されたりした後もつながることが多いが、それは「コツ」だけで取材していないからだ。例えば、入稿日に取材依頼が来ることがあるが、それは「コツ」を使うしかない。朝までに取材しないと間に合わないからだ。しかし、いつも「コツ」だけでずるく生きようとしている人をぼくは受け入れることはできない。真摯でないからだ。
特に若いときは、コツを知らない方がいいかもしれない。「人生はコツである」と勘違いするからだ。コツだけでやっていると所詮限界が来て、量をこなさないといけないと気づいたときはもう体力がなくなっている可能性もある。自分の苦しい経験から得たコツは、本や人から教えてもらったコツよりも応用がきく。教えてもらったコツは応用がきかない。だから、むしろ体力がある若い間は、コツを教えてもらわずに、五里霧中の状態でも、死に物狂いの努力をして、そこから「コツ」を自分で見出した方が、そういう努力をしないで単に人や本から学んだコツだけで生きている人よりもはるかに、深く楽しい人生を生きることができるのではないだろうか。