◆講座情報
◆コラム
第1回〜第30回
第31回 子供の安全を守るメーガン法
第32回 中井貴恵極秘結婚式の場合
第33回 ジャーナリストという仕事
第34回 ジャーナリズムの基本は実名
第35回 生命と死について
第36回 私の危機管理術
第37回 お金で解決できないこと
第38回 自伝の嘘
第39回 雑感
第40回 経験と読書のバランス
第41回 日本の放送メディアの問題点
第42回 インタビューの種類
第43回 ジャーナリストに求められる倫理とは?
第44回 翻訳の功罪
第45回 小学校英語について
第46回 アメリカの道路と日本のそれの違いが示すもの
第47回 父親の箴言 雑草のごとく生きよ
第48回 一流とは
第49回 テレビ取材の難しさ
第50回 英語の難しさと効用
第51回 今年1年を振り返って (英語の威力を改めてみせつけられた1年)
第52回 ユーモアの重要性
第53回 日本のメディアのテーマ
第54回 コツ




第41回 日本の放送メディアの問題点

ぼくは活字媒体を主に仕事にしているが、テレビ取材で海外にロケハンに行くこともあれば、クルーと一緒に取材することもある。活字媒体ともっとも異なるのは、取材経費の桁であるが、テレビ取材に経費が異常にかかることは仕方ないにしても、いつも愕然とするのはぼくだけであろうか。だから、テレビ取材から得たもので、本を執筆し、賞をとると、この不公平さが必ず問題にされる。活字媒体の経費では絶対に無理であるからだ。3〜5人で、海外のあちこちを移動しながら取材すると、少なくとも活字媒体の10倍の経費がかかる。ニューヨークに住んでいるときに、BS番組の取材を手伝ったことがあるが、そのときディレクターは、毎日100万円使いますね、と平気な顔で言っていた。2週間取材すると、1400万円ということになる。活字ではあり得ない数字である。

活字媒体だけをやるよりも、ときにはテレビ取材をした方がおもしろく、取材も広範囲になるから、活字では味わえない爽快感が味わえる。しかも、その取材内容を放送後活字にしてもいいので、一石二鳥である。

日米放送メディアの差

ぼくは、テレビ局の人と、本音をぶちまけながら、食事をするときもよくあるが、反省の意味をこめて、お互いを批判しあうときもあれば、日本のメディア批判に意気投合することもある。ぼくも海外在住が長かったが、相手のテレビ局の人も特派員を経験していることが多く、特にアメリカのメディアを目の当たりにしていることが多いので、話はよく合う。彼らが最近の日本のテレビの傾向を嘆くのも無理はない。例えば、ザ・スクープのようなニューズ・マガジンと言われる番組がなくなったこと。ニュースのワイドショー化。担当しているプロデューサーが元々ニュース担当ではなく、娯楽番組担当であると「やらせ」を無意識にやってしまう傾向にあるという。娯楽番組はすべてが「やらせ」でできていると言っても過言ではないので、同じ手法をニュースでもやってしまうことがあるというのである。どこまでを「やらせ」というのか、それがニュース畑でやってきたディレクターと娯楽番組をやってきたディレクターでは異なるらしい。さらに、局アナを使えば、一回に2〜4百万円というギャラを払う必要もない。内容で勝負すべきであって、司会者のキャラクターで勝負すべきではないと思う。これもアメリカのTV番組をみると、その違いがよくわかる。局内の人も、これはおかしいと思っているのだから、どうしようもない。

“60 Minutes”はアメリカでは最高のニューズマガジンで、ぼくもアメリカに住んでいるときは必ず観ていたし、自分がインタビューした人が出ているときは特に興奮しながら観ていた。アメリカでは日曜日の午後7時に放送されるが、日本では夜中だった。この違いは活字媒体にも当てはまることだ。アメリカの最高の週刊誌にThe New Yorkerがあるが、それにはノンフィクション、フィクションが毎週出てきて、その雑誌で発表できるジャーナリスト、作家はアメリカでは10本の指に入る傑出した物書きと言ってもいい。今でもそこに発表する2,3人のジャーナリストと付き合いがあるが、取材経費は日本の雑誌とは比べものにならない。思い存分取材して書いた記事はいつ読んでもおもしろいが、日本でこういう週刊誌は売れないと、ある編集者は言っていた。その編集者が最近インド人のエリートから「日本人はどうしてこういう雑誌を読まないのか。国外で起きていることに日本人は関心がないのか」と言われたそうだが、これだけエリートがいるはずの日本でこういう雑誌が売れないのは、テレビで、音の効果をほとんど使わず、中身だけで勝負するニューズマガジンがないのと同じであると、ぼくは思う。まじめな内容の番組でも、視聴率を稼ごうとしてすぐにタレントを使う。それはもういいかげんにしたらいいと思う。局内の人も「そういうギャラを取材経費に回してくれたら、もっと取材ができるのに」と嘆いているそうだ。

コメンテーターの不思議

コメンテーターも日本のテレビは専門外のことに口出しをしすぎではないか。弁護士が芸能界についてコメントするのをみるとおかしくてたまらないし、まったくその分野の専門知識のない人が、安楽死・尊厳死問題について、的外れ(あるいは無知をさらけ出すような)のコメントをするのをみると、いやになる。そういうことをテレビ局の人に呑みながら言うと、やはりぼくに100%同感で、自分の周囲の人もみんなおかしいと思っている、と言うのだ。

さらに元々活字媒体で活躍していた人がテレビ出演や講演で、稼ぎ始めると「書かなくなる」「書くのが億劫になる」と言う。人間は楽をし始めると、自制心がよほどないと元に戻れないが、ぼくはやはりジャーナリストと称する限り、あくまでも活字媒体を主な収入源にすべきだと思っている。つい最近も「テレビにレギュラーで出ているジャーナリストもそのことはよくわかっていても、ちょっと講演をして50〜100万円入ってくるようになると、書くのが馬鹿らしくなってくるらしい」とテレビ局の人が言っていた。書かなくなると筆鋒が鈍くなってくるのは時間の問題である。そうなると、最近、新書で流行の「しゃべりを活字にしてもらう」しかなくなるのではないだろうか。

最後にどうしても気になって仕方ないので、書いておくが、「テレビにレギュラーで出る人は、どれだけ費用がかかっても気にしないで、歯並びをきれいにそろえてほしい、と思う。