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週刊ポスト 2004年10月8日号
「英語のたくらみ、フランス語のたわむれ」
日本語を軽視して実用英語を重視する「現実主義」の空疎さを暴く
本書は、日ごろ研究室は近くても廊下ですれ違うだけだった、英語とフランス語の2人の東大助教授の対談が基になっている。テーマは、「外国語の学び方」「語学はコミュニケーション?教養?」「翻訳家という仕事」「文学は何の役に立つのか」など、興味を引くものばかりで、内容も頗る濃い。世に出ている英語学習書のレベルの低さは今さらいうまでもないが、この2人の対談からは、語学というものがいかに奥深いものであるかが伝わってくる。
ある理系の教授が、自身の英語力を誇示し、学生には実用的な英語教育をやればいいと主張するのに対し、「普段自分が使っている、理系の論文を書くときの英語が彼にとっての英語であって(中略)その英語たるや、将棋でいうとちょうど初段くらいなんです。要するに(中略)自分が世界で一番強いと思っているくらいのレベルの英語ですね」と一蹴。また多くの企業でTOEICやTOEFLが出世の条件とされているが、「僕の周りでTOEIC満点という人を何人も知ってるけど、そのままでは使いものにならないもの。彼らはTOEIC満点なんていうのがどんなレベルなのかわからないんですね」と本音を語る。
こうした発言の背景には、一時は「英語第二公用語論」まで叫ばれ、英語一辺倒になっている日本の現状に、「こんなことをやっていたら当然母語(日本語)能力が低くなる」とする危機感がある。日本語を軽視して英会話ができれば良しとする「現実主義の空疎さ」を説き、翻訳作品をめぐる様々なエピソードなどを引いて、「語学・翻訳・文学」の豊かさを主張する。
私自身、英語を使ってさまざまな分野の人々にインタビューし、それを基に執筆することを生業としているが、単なる実用英語ではとても相手の本音を知り得ないことを実感している。
英語の斎藤氏とフランス語の野崎氏は、いろいろな点で対照的だが、言葉を学ぶことの大切さ、翻訳の面白さ、文学の重要性など、その主張には共通点も多い。2人の談義に積極的に参加するような気持ちで本書を読めば、得るものはさらに大きいはずだ。
| <著者紹介> 斎藤兆史(さいとうよしふみ) 1958年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科助教授。専門は英学。他の著書に「英語の作法」など。 野崎歓(のざきかん) 1959年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科助教授。専門はフランス文学・映画論。他の著書に「ジャン・ルノワール 越境する映画」など。 |
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